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東光院跡

[概要]
[とうこういんあと]

藩政時代の尾山村には、東光院・智厳院・本浄院・利学院・快照院の修験寺5か院があった。

東光院は本山派京都聖護院の大先達として、仙台の良覚院、丸森木沼の宗吽院とともに祈祷所として大きな役割を果し、伊具・名取・宇多も3郡を霞場(祈祷の縄張り的地域)として、慶長13年(1608年)伊達政宗に与えられた。

宗吽院には柴田・刈田両群の霞場が与えられている。

東光院では3郡に「笠バチ」と称する関所川渡等の従来手形を発行するという特権を付与されていたのである。

なお、東光院には安達ヶ原の鬼退治の伝説、安珍清姫の道成寺物語がある。

[住所]
宮城県角田市尾山
[電話]
0224-63-2221(角田市教育委員会生涯学習課)
[FAX]
[Email]
[URL]

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※地図はおおよその場所になります
[詳細情報]
■安達ヶ原の鬼退治伝説

京都のある高貴な家に女の子が生まれ、岩手という女が乳母として大事に育てていた。
ところがある日突然女の子が重い病気にかかってしまった。「病は、妊婦の生き肝を飲ませなければ治らない」と言われた岩手は、妊婦の生き肝を求めて各地をさまよい歩き、とうとうみちのくの安達ヶ原に住みついた。それから何年か過ぎたある日、ある夫婦が宿を求めて岩手の家にやってきた。

妊婦であったその夫婦の妻が急に産気づき、夫は薬を求めて里に走った。
岩手は長年探してきた妊婦の肝を取るチャンスとばかりに女の腹を裂き、肝を切り取った。

女は「私たちは小さいころ京都で別れた母を捜し歩いていたのです」と言い残し息絶えた。
その言葉を聞いた岩手はふと京都に残してきた娘を思い出した。
まさかと思い、女の荷物を調べると、自分が娘に渡したお守りが出てきた。
自分の娘を殺してしまったことに動揺し、錯乱した岩手はそのまま鬼と化し、宿を求めてやってくる旅人を次々と食らう鬼婆となってしまった。

それから東光坊祐慶という男の元に安達ヶ原の鬼婆を倒せとの命が下った。
すぐに安達ヶ原に向かったが、鬼婆は逃げてしまった。
後を追って尾山(現在の尾山地区)まで来た時、鬼婆に追いつき一太刀浴びせたが、角を少し切り落としただけで見失ってしまう。

そこで祐慶は尾山に一堂を建立。
これが東光院となる。
それから3年ほど経ったころ、近くの温泉で傷を癒している鬼婆を見たとの連絡を受けて向かったが既にいなかった。
すぐに辺りを探すと、逃げようとしている鬼婆を発見し、見事に退治したという。

この時切り落とした首は現在まで大切に保管され、角の生えた鬼の頭骨が、祐慶の子孫とされる尾山に住む安達家に残っている。


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